15人から始まった226km――IRONMANの誕生と日本開催の歴史

IRONMANとは
Ironman

現在では世界各地で開催され、トライアスリートにとって憧れの舞台となっている「IRONMAN」。

その名前からは、長い歴史を持つ伝統的な競技のようにも感じられます。しかし、その始まりは1978年。ハワイで交わされた、ある素朴な疑問がきっかけでした。

「水泳選手、自転車選手、ランナーの中で、最もタフなのは誰なのか」

この疑問に答えるため、3つの長距離競技を一度に行う、前例のないレースが生まれました。

IRONMAN誕生のきっかけ

IRONMANの考案者は、アメリカ海軍に所属していたジョン・コリンズと、その妻であるジュディ・コリンズです。

2人は、ハワイ・オアフ島で開催されていた3つの競技を組み合わせることを考えました。

最初に泳ぐのは、「ワイキキ・ラフウォーター・スイム」の約3.8km。続いて、オアフ島を走る自転車レースをもとにした約180km。そして最後に、「ホノルルマラソン」の42.2kmを走ります。

合計距離は約226kmです。

ジョン・コリンズは、この競技を最初に完走した者を「Iron Man」と呼ぼうと提案しました。こうして、現在まで続くIRONMANの原型が誕生したのです。

わずか15人で始まった最初のIRONMAN

第1回大会は、1978年2月18日にハワイのオアフ島で開催されました。

スタートラインに立ったのは、わずか15人。当時はIRONMAN専用のトレーニング方法も、補給に関する知識も、現在のような高性能の競技機材もほとんどありませんでした。

それでも、参加者たちはスイム3.8km、バイク約180km、ラン42.2kmという未知の距離に挑みました。

15人のうち、完走したのは12人。最初にフィニッシュしたのは、ゴードン・ハラーでした。記録は約11時間46分です。

現在のトップ選手と比べれば記録は大きく異なりますが、十分な情報や専用機材がなかった時代に、この距離を完走したこと自体が驚くべき挑戦でした。

IRONMANの歴史は、大規模なスポーツイベントとしてではなく、15人の挑戦者による小さなレースから始まったのです。

世界に知られる大会へ

翌1979年には、リン・ルメールが女性として初めてIRONMANを完走しました。しかも、男女を合わせた総合順位で5位に入る快走でした。

大会の存在が雑誌などで紹介されると、参加希望者は急増。1980年には100人を超える選手がスタートラインに立ちました。

1981年には、開催地がオアフ島からハワイ島へ移されます。現在「IRONMANの聖地」として知られている、カイルア・コナを中心とした大会の歴史がここから始まりました。

IRONMANの知名度を大きく高めた出来事の一つが、1982年の大会です。

女子選手のジュリー・モスは、トップを走りながらフィニッシュ直前で倒れました。それでも諦めず、地面をはうようにしてゴールを目指しました。その姿がテレビで放送され、IRONMANは単なる体力勝負ではなく、人間の意志の強さを象徴する競技として世界に知られるようになります。

1983年には、世界選手権への出場資格制度と17時間の制限時間が導入されました。現在、多くのIRONMANレースで使われている基本的な仕組みが、この時代に形づくられていきました。

日本初のIRONMANは琵琶湖

日本で初めてIRONMANが開催されたのは、1985年6月30日です。

舞台となったのは、滋賀県の琵琶湖周辺。大会名は「アイアンマン・ジャパン in LAKE BIWA」でした。

この大会には427人が挑戦し、台風の接近による雨や低い水温など、厳しい条件の中でレースが行われました。それでも366人がフィニッシュし、日本国内で初めて多くの「アイアンマン」が誕生しました。

1985年は、宮古島でもロングディスタンスのトライアスロン大会が始まった年です。そのため、日本のトライアスロンが本格的に発展し始めた「トライアスロン元年」とも呼ばれています。

琵琶湖でのIRONMANは、1985年から1997年まで13年間にわたって開催されました。世界のトップ選手も来日し、日本人選手が世界へ挑戦するための重要な舞台となりました。

琵琶湖から五島列島へ

琵琶湖大会の終了後、日本のIRONMANは新たな開催地へと受け継がれます。

2001年、長崎県の五島列島・福江島で「アイアンマンジャパントライアスロン五島長崎」が始まりました。

美しい海と起伏のある島の道路を舞台にした大会は、選手だけでなく、地域の人々による温かい応援でも知られるようになります。

しかし、2010年大会は口蹄疫の感染拡大を防ぐため、開催直前に中止されました。その後、五島での大会はIRONMANブランドとしての歴史を終えることになります。

それでも大会の継続を望む多くの声を受け、2011年からは「五島長崎国際トライアスロン大会」、通称「バラモンキング」として再出発しました。

IRONMANという名称ではなくなりましたが、五島では現在も、ロングディスタンストライアスロンの歴史が受け継がれています。

北海道で再び始まったIRONMAN

2013年には、北海道の洞爺湖周辺を舞台に「アイアンマン・ジャパン北海道」が始まりました。

雄大な自然の中を進むコースには、国内外から多くの選手が参加しました。大会は2015年まで開催されましたが、その後、日本国内ではフルディスタンスのIRONMANが開催されない期間が続きます。

そして2024年、9年ぶりに日本でフルディスタンスのIRONMANが復活しました。

新たな舞台となったのが、北海道南部の北斗市と木古内町を中心に開催される「IRONMAN JAPANみなみ北海道」です。

日本で初めて自動車専用道路の一部をバイクコースとして使用するなど、これまでにない特徴を持つ大会として、新しい歴史をスタートさせました。

2024年の初開催に続いて2025年にも実施され、2026年大会は9月13日に開催される予定です。

私たちもIRONMANの歴史の中へ

1978年、ハワイに集まったわずか15人から始まったIRONMAN。

当時は、「本当に一日で完走できるのか」と考えられていた挑戦が、今では世界中の選手が目指す競技へと成長しました。

日本でも、琵琶湖、五島列島、洞爺湖、そして南北海道へと開催地を変えながら、その歴史が受け継がれています。

私たちが2026年に挑戦する「IRONMAN JAPANみなみ北海道」も、その長い物語の一部です。

スタートラインに立つ一人ひとりに、そこへ至るまでの練習や迷い、失敗があります。そして、フィニッシュラインを越えた瞬間、新たなアイアンマンの歴史が生まれます。

約半世紀前に15人が始めた挑戦。その続きを走ることができるのも、IRONMANの大きな魅力なのかもしれません。

参考資料
・IRONMAN公式サイト「History」「IRONMAN Timeline: The First Decade」
・公益社団法人トライアスロンジャパン「日本のトライアスロンの歴史」
・IRONMAN Japan South Hokkaido 大会公式情報

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