脳性まひのある息子とともにIRONMANへ――彼らが示した「Yes You Can」

IRONMANとは
Ironman

IRONMANは、3.8kmのスイム、180kmのバイク、42.2kmのランを続けて行う、総距離約226kmのトライアスロンです。

一人で完走するだけでも極めて過酷なこの競技に、息子を乗せたボートを引いて泳ぎ、二人乗りの自転車をこぎ、最後は車いすを押してフルマラソンを走った父親がいました。

アメリカ出身のディック・ホイト氏と、脳性まひによって四肢に重い障害のあった息子のリック・ホイト氏です。

二人は「チーム・ホイト」として、IRONMANを含む数多くのレースに出場しました。その活動は、父親が息子を一方的に支えたというだけではありません。ディックにとってリックは、ともにスタートラインに立ち、同じフィニッシュを目指すパートナーでした。

すべては約8kmのレースから始まった

二人の挑戦が始まったのは1977年です。

当時15歳だったリックは、事故によって体が不自由になった学校のラクロス選手を支援するために行われる、5マイル、約8kmのチャリティーレースに出場したいと父親に伝えました。

当時36歳だったディックは、長距離ランナーではありませんでした。それでも息子の希望をかなえるため、リックを車いすに乗せ、後ろから押して走りました。

二人は約8kmのコースを最後まで走り切り、最後から2番目でフィニッシュしました。レースを終えた後、リックは父親に、走っているときは障害がなくなったように感じたと伝えました。

この言葉が、その後40年近く続くチーム・ホイトの出発点となりました。

ボストンマラソン出場のために記録した2時間45分23秒

ディックは、リックとともに、より長い距離へ挑戦するため、本格的なトレーニングを始めます。

リックが学校に行っている間には、車いすにセメント袋を積み、それを押しながら走ることもありました。ディックに必要だったのは、自分一人で42.2kmを走り切る体力だけではありません。リックと車いすの重量を支えながら、長時間走り続けられる力を身につける必要がありました。

二人がボストンマラソンへの出場を目指した当時、車いすを押して走る親子をどのように扱うかという明確な前例はありませんでした。そのため、二人はマリン・コープス・マラソンに出場し、自分たちの力で出場にふさわしい記録を証明しようとします。

そこでディックは、リックを乗せた車いすを押しながら、フルマラソンを2時間45分23秒で完走しました。

1kmあたりに換算すると、約3分55秒のペースです。一般のランナーにとっても非常に速いサブスリーを大きく上回る記録を、リックと車いすを押しながら達成したことになります。

この記録によって、二人はボストンマラソンへの出場を認められました。1980年に初めてボストンマラソンに出場し、その後、2014年の最後の完走までに32回の完走を果たしています。

また、2009年のボストンマラソンは、チーム・ホイトにとって通算1,000回目のレースとなりました。

マラソンからトライアスロンへ

二人の挑戦は、ランニングだけでは終わりませんでした。

トライアスロンのスイムでは、リックが横になって乗ることのできる専用のボートを使用しました。ディックは自分の体とボートをロープでつなぎ、リックを乗せたボートを後ろから引きながら泳ぎます。

バイクでは、リックが前方に座ることのできる特別な自転車を使用しました。ディックは二人分の重量を支えながら自転車をこぎ、競技中にはリックの水分や栄養も管理しなければなりません。

最後のランでは、リックを専用のレーシング車いすに乗せ、ディックが後ろから押して走ります。

通常のIRONMANでは、選手は自分の体と自転車を前へ進めればよいですが、ディックはすべての種目でリックと専用機材を運び続けなければなりませんでした。

1989年のIRONMAN世界選手権では、ディック、リック、自転車を合わせた重量は376ポンド、約171kgに達していたとされています。

1988年、最初のコナ挑戦

二人が目標にしたのは、ハワイ島コナで開催されるIRONMAN世界選手権でした。

世界中から選手が集まるIRONMAN最高峰の舞台であり、強い日差しや暑さ、海から吹く風など、過酷な環境でも知られています。

二人は1988年、初めてコナに挑戦しました。

しかし、このときはスイムの制限時間を通過することができず、その後のバイクとランへ進むことはできませんでした。

リックを乗せたボートを引きながら3.8kmを泳ぐことは、通常のスイムとはまったく異なります。水の抵抗を受けるボートを引き続けなければならず、ディックの体には大きな負担がかかりました。

二人にとって最初のコナ挑戦は、フィニッシュラインへ到達する前に終わりました。

それでも、二人は一度の失敗で挑戦を終わらせませんでした。翌1989年、再びコナのスタートラインに立ちます。

1989年、14時間26分04秒でIRONMANを完走

1989年のIRONMAN世界選手権で、ディックはリックを乗せたボートを引きながら3.8kmを泳ぎました。

スイムタイムは1時間54分06秒でした。

前年はスイムの制限時間を通過できませんでしたが、二度目の挑戦では海を泳ぎ切り、次のバイクへ進みます。

海から上がった後、ディックはリックを専用の座席に乗せ、180kmのバイクコースへ向かいました。二人と自転車を合わせた重量は約171kgに達していましたが、それでも8時間01分30秒でバイクコースを走破しました。

約2時間のスイムと8時間を超えるバイクを終えた時点で、競技時間はすでに10時間近くに達していました。

しかし、二人のレースはまだ終わりません。最後には42.2kmのフルマラソンが残っています。

ディックは、長時間のスイムとバイクで疲労した状態から、リックを乗せた車いすを押して走り始めました。そして、ランを4時間30分27秒で走り切ります。

スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2kmを終え、二人がフィニッシュラインを通過したときの総合タイムは14時間26分04秒でした。

1988年にはスイムの制限時間を通過できなかった二人が、そのわずか1年後に、総距離約226kmのIRONMAN世界選手権を完走したのです。

この年の大会は、マーク・アレンとデイブ・スコットによる歴史的な優勝争い「アイアン・ウォー」が行われた大会としても知られています。

しかし、その同じコースの後方では、ディックとリックが、勝敗とは異なる形でIRONMANの歴史を変えていました。

10年後、再びコナのフィニッシュラインへ

1989年の完走から10年後の1999年、二人は再びIRONMAN世界選手権に出場しました。

このとき、ディックは59歳、リックは37歳でした。

1989年の完走から年月がたち、ディックの年齢も重ねていました。それでも二人は、もう一度コナのスタートラインに立ちました。

レースでは日が沈んだ後もコースを進み、暗くなったコナの道を走り続けました。観客やカメラが少なくなった時間帯でも、ディックはリックの車いすを押し、最後までフィニッシュラインを目指しました。

このときの総合タイムは16時間14分19秒でした。

1989年よりも長い時間を要しましたが、二人は再びIRONMAN世界選手権を完走しました。

一度の完走だけでも歴史的な挑戦でしたが、二人はそこで終わらず、10年後に同じ舞台へ戻ってきました。その姿は、チーム・ホイトの挑戦が一時的なものではなかったことを示しています。

1,142大会、257回のトライアスロン

チーム・ホイトは、長年の活動を通じて1,142大会に参加しました。

その中には、72回のマラソン、257回のトライアスロン、7回のハーフIRONMAN、6回のフルIRONMANが含まれています。ボストンマラソンでは32回の完走を果たしました。

さらに1992年には、自転車とランニングを組み合わせて、アメリカ大陸の横断にも挑戦しています。

西海岸から東海岸までの3,735マイル、約6,011kmを、45日間かけて移動しました。単純計算では、1日平均約134kmを進んだことになります。

二人の挑戦は、特別な一度だけの物語ではありません。

約8kmのロードレースから始まり、マラソン、トライアスロン、IRONMAN、そしてアメリカ大陸横断へと広がっていきました。何十年にもわたり、二人は同じチームとしてスタートラインに立ち続けました。

父親だけの挑戦ではなかった

競技中、実際に泳ぎ、自転車をこぎ、車いすを押していたのはディックです。

しかし、ディックは自分一人のために競技を続けていたわけではありません。

リックが最初のレースに出たいと伝えなければ、ディックが長距離ランナーやトライアスリートになることもありませんでした。リックが目標をつくり、ディックが二人で実現する方法を考えました。

ディックが体を動かし、リックが挑戦を続ける理由となる。二人は、支える父親と支えられる息子という関係だけではなく、それぞれが異なる役割を持つ一つのチームでした。

リックはかつて、父親に何か一つ贈ることができるなら、今度は父親を車いすに座らせ、自分が押してあげたいと答えています。

この言葉からも、リックが単に父親に運ばれていたのではなく、父親と同じ気持ちでレースに挑んでいたことが伝わります。

「Yes You Can」が残したもの

ディックとリックは、2008年にそろってIRONMAN殿堂入りを果たしました。

二人の挑戦は、速さや順位だけで評価されたものではありません。障害のある人も、家族やサポートする人とともに、アスリートとして大会へ参加できることを世界に示しました。

彼らが競技を始めた当時、障害のある人が家族とともにマラソンやトライアスロンへ参加することは、現在ほど広く受け入れられていませんでした。

専用の道具も十分にはなく、大会への参加を認めてもらうことさえ簡単ではありませんでした。それでも二人は、自分たちで道具を工夫し、トレーニングを重ね、何度もスタートラインに立ちました。

その姿を受け継ぎ、現在では世界各地で多くのデュオチームがマラソンやトライアスロンに参加しています。

ディックは2021年に80歳で亡くなり、リックも2023年に61歳で亡くなりました。しかし、二人が示したものは、現在もIRONMANの世界に残り続けています。

二人が掲げた「Yes You Can」は、何の準備もなく、何でも簡単に実現できるという意味ではありません。

最初のIRONMAN世界選手権では、スイムの制限時間を通過できず、完走することができませんでした。それでも二人は方法を見直し、トレーニングを続け、翌年には14時間26分04秒で完走しました。

できると信じること。そのための方法を考えること。そして、一度失敗しても、もう一度スタートラインに立つこと。

ディックとリックは、1,142回のレースと二度のコナ完走によって、その意味を示し続けました。

トライアスロン未経験から、IRONMAN完走に挑戦中

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